姑の手料理こそ全力で食べる

嫁姑問題画像夫の実家と同居しているなら夫の家族との食事は完全に日常ですが、夫の実家と別居している場合、食事はまだまだイベント性のある特別なものです。楽しい会話をかわしながら一緒に美味しいものを味わう行為は、家族としての新密度を高める重要な役割を担っています。

その食事が姑の手料理となれば、嫁としては気合を入れてのぞまなければなりません。どう気合を入れるべきなのか、実践をもとにした私の考えをお話します。

基本的に、姑の手料理は食べ残さない意気込みが必要です。外食をしても私は普段から無理をして食べるほうではありません。嫌いなものがあれば手をつけませんし、満腹になれば食べ残します。

ですが、個人的な関係にある誰か(この場合は姑)が自分のために作ってくれた料理は、もはや空腹を満たすための単なる食べ物ではありません。相手の気持ちに感謝する意味でも全てキレイにいただくべきです。

ですが、食べきれないほどの料理が用意されている場合もあるでしょう。胃袋の大きさは簡単には変えられませんから結局は食べ残してしまうとしても、全く箸がつけられていない料理があってはならないと私は思っています。

通常のマナーだと中途半端に箸をつけないほうがいいとされていますが、姑の手料理の場合それはあてはまりません。一般家庭の台所で食べきれないほどの品数の料理を用意する大変さと、あれもこれも・・・もう一品・・・と張り切ってくれた姑の気持ちを思えば、家族の誰も味見すらしていない皿を残すほうがよほど失礼と言えるでしょう。

苦手なものが出された場合

嫁姑問題画像仮に苦手なものが出された場合ですが、これもまずは箸をつけるべきだと私は思っています。調理の仕方によっては食べられるかもしれない、という意気込みがあれば簡単なことです。なんとか食べられたなら「実は苦手だけど食べられました」と報告して姑に喜んでもらえますし、やはり食べられないなら「お義母さんの料理なら食べられるかと思ったのですが・・・実は苦手です」と素直に告げればいいだけのことです。

そして、美味しいと感じたなら素直に「美味しい」と姑に伝えることが大切です。嫁がおかわりをしても、大皿の料理をたくさん食べてもいいのです。姑なら間違いなく喜んでくれるはずです。わざとらしいかも・・・行儀が悪いかも・・・などと考える必要はありません。

気を使ったり、褒め言葉を探して慎重になる必要もありません。そもそも人は誰でも長年慣れ親しんできた自分の母親の味が好みの基本なのですから、よその家庭の味にそう簡単に馴染めるわけなどないのです。

手料理を振舞う姑もどこかでそれを認識しながら、精一杯もてなしてくれているわけです。それを思えば、美味しいものは「美味しい」と作り手にハッキリ伝えることは、食べる側の最も大切な礼儀だと言えるでしょう。前述した料理の量や好き嫌いの問題も含め、きちんと伝えることで初めて姑も軌道修正でき、お互いにより楽しく充実した食事の時間を作り上げていけるのです。

姑の手料理を堪能することは、姑の好意をきちんと受け止めることでもあります。小食や好き嫌いは大した問題ではありませんし、マナーも関係ありません。全力で味わい尽くす意気込みこそが大切だと思います。