ひとりの人間として付き合う覚悟をもつ

嫁姑問題画像嫁も姑も本来はお互いにひとりの人間どうしです。家庭以外に趣味も仕事も付き合いもあって、自分自身の人生を生きているのです。当たり前のことですが、普段そんなふうに意識してみることは少ないのではないでしょうか。

それどころか、姑と接するときにはどうしても嫁という立場で振舞い、姑というフィルターを通して相手を見てしまいます。それは姑も同じでしょう。そのほうがお互いの立ち位置がわかりやすく、物事もスムーズに運ぶのですから当然といえば当然です。

何事もなくうまくいっているときは、それでもいいのです。夫(姑にとっては息子)を中心に結びついた嫁と姑は、夫(息子)のためにも家族として仲良くつき合っていけるでしょう。お互いに「優しいお姑さんだ」「よく気のつく嫁だ」と喜んでいられます。

嫁と姑が対立関係になったとき

嫁姑問題画像ですが何か問題が持ち上がって、嫁と姑が対立関係になったときはどうでしょうか?いくら夫(息子)のためとはいえ、お互いに我慢できない場合もあるはずです。例えば、姑が同居を望んでいるのに対して、嫁は絶対に同居したくないと考えているとします。嫁が同居を拒む理由としては、仕事を持っているから、夫婦ふたりの自由な生活を続けたいから、自分の実家と付き合うのに気兼ねがいるようになるから・・・など、嫁なりの人生設計や希望があるはずです。

このようにお互いの主張が折り合わない場合、その反応はどうなるでしょう。「やっぱり押しが強くて頑固な姑だ」「結局は自分勝手でワガママな嫁だ」と、とたんに相手を非難する気持ちにならないでしょうか?それも、嫁・姑それぞれの立場で、自分が勝手に当てはめていた理想像から外れてしまった相手を非難しているのです。

こうなると、嫁である以前に自分もひとりの人間であることを主張したくなるものです。時には夫の家族よりも優先しなければならない事情や、簡単に譲れない色々な感情が自分にもあることをわかってもらいたいと思うはずです。全く同じことが姑にもあてはまらないでしょうか。

無意識に「夫の母親」「お義母さん」という枠でしか見てなかった姑にも、そこには納まり切らない色々な事情や感情があるわけです。そう考えれば、相手の主張に耳を傾け、理解しようと努力する気持ちになれるのではないでしょうか。反対にそこを認めようとしないと、「やっぱり姑は・・・」「結局嫁は・・・」とお互いにいつまでたっても平行線のままですし、感情的に余計にこじれることもあるでしょう。

姑である前に、ひとりの女性であると認識する

嫁姑問題画像姑は自分にとって姑である前に、自分とは全く違う人生を自分の倍も生きてきたひとりの女性であると、心のどこかで認識しておくべきです。

そうすれば普段から、相手に対する興味の持ち方も評価の仕方も違ってくるのではないでしょうか。そして、嫁姑の枠を出ない表面的な対応で済まなくなった場合にこそ、お互いに対する人間的な敬意が問題を良い方向に導く力になってくれるのだと思います。