なにごとも悪意にとらない余裕をもつ

嫁姑問題画像どんなに温厚で常識ある舅や姑でも、家族として付き合っていればその言動にカチンとくることも出てくるはずです。

例えば、夫のことで注文をつけられた、きつい口調で命令された、せっかく作った料理なのに味付けが濃いと言われた・・・など、どれも些細なことですが、思わずムッとしてしまいそうな出来事です。

ですが、そんな日常の些細な出来事にいちいち気を悪くしていては、嫁姑関係はおろか家族として成り立っていきません。感情を波立たせることで自分もツライ思いをします。家族内で無駄に消耗しないためにも、嫁姑のあいだでこそ相手の言動を悪意にとらないよう心がけることが必要です。

「悪意にとらない」とは、悪いふうに考えない、細かいことを気にしないことでもありますが、お互いの性格によっては意外に難しいことです。いくら悪いふうに考えたくなくても、きつい物言いや無神経に思える態度が多い姑だとムッとしないほうが難しいでしょう。

ですがよく考えてみると、自分に対するときだけでなく普段から同じようにきつく無神経ではないでしょうか。冷たい感じの物言い、神経質に思える態度、気分屋な言動、なんでもそうです。

「姑はこうゆう人なのだ」と思えば、一瞬はムッとしても割と簡単に忘れられます。そのうち、その姑らしさに慣れてムッとすることさえなくなるでしょう。

お互いに気を使いあっている嫁と姑の関係は続かない

嫁姑問題画像反対にお互いに気を使いあっている嫁と姑の関係でも、生活していくうえでいつまでも気を使い続けられるわけがありません。

お互いに自分を出し始めると、内心カチンとくることや落胆することもそれなりに出てきます。ですが、これも「こうゆうところもあるのだ」と思えば全く大したことではありません。そもそも、お互いを解り合う過程で積み重ねる当然の発見のひとつでしかないのです。

姑の言動を悪意にとらないためには、嫁の側に素直な気持ちと余裕が必要です。夫のことに口出しされるのも、姑にすれば息子夫婦のために良かれと思ってアドバイスしているはずです。

こちらはきつい口調で命令されたと感じても、姑は必死なあまり単に強い口調になっただけかもしれません。料理の味付けは若い自分たちにはちょうど良くても、薄味に慣れた姑には濃すぎるということは往々にしてあることです。

将来同居などで同じ台所に立つ可能性もあるわけですから、敢えて口に出してくれたことに感謝すべきです。被害妄想をもたず素直に受け止める余裕さえあれば、姑の言動に悪意がないことは自然とわかるものです。例え姑の言動に傷ついたとしても、時間とともに忘れていけるでしょう。

家族になった以上、いつまでも取り繕って上辺で付き合っていけるわけではありません。お互いに本来の自分を出し合いそれを受け入れあうことで、家族としての関係が近づいていくのですから、自分の期待に添わない言動だからと感情を損ねるのは全くナンセンスです。